桜の花にちなんだ親鸞聖人の御言葉
2024.04
『明日ありと思う心の仇桜 夜半に嵐の吹かぬものかは』
この言葉は親鸞聖人が9歳で得度(僧侶となるための出家の儀式)を受けるために比叡山の青蓮院を訪れ、慈鎮和尚から「今日はもう遅いので得度式は明日の朝にしてはどうか」と言われた際に明日まで待っていられないという想いを詠ったといわれています。
桜は明日見ようと思っていても夜中に嵐が来て散ってしまうかもしれない、何事も先延ばしにすると機会を逃してしまうという意味や、桜に例えた自分の命が明日どうなるかわからないという意味が込められているのです。
明日も生きていることが当たり前と思い、わたしもつい先延ばしにすることがありますが『今』生きている、かけがえのない命を精一杯生きるよう心掛けたいと思います。